『分水嶺に立つ』より

 

     目次

 

 速く過ぎた時
 友の死に
 ペンション
 一週間
 過去を記す
 分水嶺に立つ
 再会
 時間
 手紙
10 省みる日々
11 心の詩
12 人間
13 政治
14 頭痛
15 夢
16 妻の死
17 爺さまの準備
18 懺悔文

                                  

 

 






「速く過ぎた時」

 

時の経つ速さを振り返る間もない
なぜそんなに急いできたのか
知る時間もない
ゆったりしたい
--と思う時間もなく
この十年が走り去った
 
三十代は世の中が見えず
また見せられないまま
ただ走らされた
人と人との間に挟まれて走るのは
ただ見えない敵におびえて
突き進む兵士のようだ
 
早くこの時期を終わりたい
ーという気持ちが強く
時の流れに速さは感じられなかった
 
四十になり
世の中を見渡せる立場になると
今までにない実像に近ずき
 
やがてそれは
やってもやらなくても済むような
虚無の世界にたどり着く
気付いて見れば 
ただいたずらな時を送り
初めて老(おい)という言葉が
頭に入り込み
何かまとめておかねばという
人生の山にさしかかったことに気付く
この四十代の時の速さが
これからも続くのか

                                

 

 

 

 

 

 

  

「友の死に」
 
夜がくれば暗くなる
太陽が地平線から
その姿を消したとき
明るさは我々の目から遠のき
暗闇の世界が襲う
身に着けているものも見えず
誰が誰の顔かも知らず 
良き人も悪き人もない
闇はこの世の全てのものを
無きものにし
誰もそれを止められぬ
この時人は体を横にし
何もせずじっとその去るを待つ
やがて目覚めると
誰かが自分の顔にさわるように
明るさがその身を揺り起こす
この地に「明」と「暗」があるように 
生きとし生けるものには「死」がある
「生」が「明」ならば
「死」は「暗」かもしれず
またその逆にもなりうる
生き物は
その「生」と「死」をもってしか
存在しない
この二つの世界を行き来するのは
ただ魂だけなのか
肉体という物質に宿る魂は
永遠の命であると思えば
「無の象徴」でもある
「無」と「有」とはまた同一でもあり
「明」と「暗」でもある
人は己のために「有」であることを求め
「暗」と「無」を嫌う
人は「有」のみが「生」であると思い
ただひたすら「生」を求める
今ある「生」は
かりそめの「有」に過ぎず
この宇宙という世界も
またかりそめの
次元なのかもしれない
だから恐れてはならず
目を閉じてもならず
ただ己の魂の行き着くところに
全てを求めれば
そこには「生」もなく「死」もなく
「有」もなく「無」もない世界が
広がるだろう

                        
















 

「ペンション」
 
ペンションをしたいと思った
ペンションに泊まった
 
寒い雪の日
部屋のなかは暖かかった
 
ゆっくり寝そべって
テレビを見たり
漫画を見たり
何か別世界にいるようだった
 
オーナーが近寄ってきて
山と緑に憧れて
仕事を捨ててやって来た
ここの自然はすばらしとー
熱っぽく語る
そして最後に
現実は厳しいんです
ーと言う彼の言葉は重かった

                                 

            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一週間」
 
何もしないで
過ごしたわけではないが
頭が空っぽになるような
一週間だった
 
あっちこっちと歩いて回り
いろんな人に会った
 
山は緑
海は青く
空には雲が
ゆっくり動いていることを
知った一週間だった
 
どこにいくにも
車があり
電車があり
当り前のように動いた
 
指を折って数えてみると
五十人の異なる人と
言葉を交した一週間だった 

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「過去を記す」
 
段々書くものが無くなってくると
いよいよ先のことへと
夢膨らませる
 
いつも未来はあると思っているが
先のことは誰にもわからない
 
過去を消してしまえば
もう書くことはない
残るのはこれから起こることが
過ぎたとき
"過去 "として記録される
 
本当にもう何もないのかと
考えているうちに
電車が目的地に着いた
 
未来はこうしているうちにも
過去になる   

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分水嶺に立つ」
 
若い頃は明日のためという言葉が
何をするときにも励ましとなった
具体的な目標がなくても
一生懸命やることが
将来実を結ぶのだと思っていた
 
こうして時が流れ
いくつかの山を越えてみると
もう数十年先の
終結のときを目指して
歩く年になってきた
 
そんな今
もうあの頃のひた向きな未来は
心のなかに沸き上がってこない
"身辺の整理 "という
過去のまとめがここ数年必要と思い
そこから翻ってまた先を考えてみよう
夢をもつ事はやさしいが
もち続けることは難しい
夢は無限であるから  

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「再会」
  
人が訪ねて来た
二十二年振りの再会だ
 
昔のままとは言えないが
酒飲み交した頃の
面影のこる
 
そうか
下宿の三畳間で
夜更けまで
 
激論重ねた若い日々は
今在る自分の思想や行動の
源流になっているに
違いない
 
ふと相手を見ると
髪に交じった
白いものが目につき
自分の年を相手に重ねてみた

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「時間」
  
人は快適な暮らしをしながら
実はもっと質素になりたいと思う
人は物がない時は
贅沢を夢見貯えようとする
 
人はいつも
自分だけがよくなればいいと思い
貧しいときには物を取り合う
 
ようやく物が手に入った時
人はまた次のものを欲しがり
欲望は止まることを知らない
 
そうこうしているうちに
人生は終り
何のためにこうため込んだのかと
自問するまもなく
最後を迎える
そんな時間は
今まで十分にあったのに

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「手紙」
  
二十年も三十年も前に書いた
自分の手紙を今読み返すとき
同じ人間の言葉と字が
不思議にも異質に受け止められる
 
相手が各々違っているが
私だったものが
変わってはいないのに
誰か他人のことのように
それらの手紙は語る
 
その時は一生懸命生き
先のことなどわかるはずもない
過去の私と今の私は
同じ流れの時と肉体を持ってはいるが
手紙に残るエネルギーの流れは
今の私と若い頃の私を区別している

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「省みる日々」
  
省みれば
歩んだ日々が遠ざかる
ーと日記に残る言葉に問いかける
 
これからの一日は
天賦の時と思い
今この顔を鏡に映せば
しみじみと髭の白さに
エイジングを覚る
 
何かせねばという焦燥の歩みで
良く五十(これ)までもった
 
これからは
ぼんやり暮らそうと思っても
そうできない自分のことを
良く知らぬ自分

                                

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「心の詩」
 
よくこの年まで生きたものだと
四十の時は思わなかったが
今日五十歳の
誕生日に痛感した
 
妻に言われて
今日が生まれた日と知り
 
ああ、
何とか半世紀
生かしてもらえたと
天に感謝する
戦後の辛さから立ち直り
生きてきた親のお陰で
少年の日々を送り
青年となり
夫となり父となった
 
 
 
 
  
  
多くの人と知り合い
いいことも
そうでもないことも
何とか過ぎて
やっとたどり着いた
 
この夏の
メンタルアクシデントの時は
もうこれまでかと
遺書を用意した
そして
生かされてきたことへの感謝と
家族と社会への
責任を果たすことを
改めて学んだ

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

「人間」
  
人間とは
つまらぬことに
命をかける動物だ
 
人間とは
知らないうちに
他の生き物を
滅している動物だ
 
人間とは
いつも欲張って
食べ物を食べ
楽をしようとする動物だ
 
こうして人間は
悩む生き物になってしまい
もう戻れない

                                

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「政治」
 
幼い頃から歯がゆいことが在る
政治は国を動かし
経済を左右する
 
だから選挙のたびに
利権の絡まない国の
中身を期待していた
 
いつも無力なのは
その日を
一生懸命働く人であるのに
それが政治を動かす力には
なりえなかった
 
人々は
今の生活のみ考える
余裕しかなく
明るい未来の設計を
なおざりにしてきた
 
 
 
 
 
 
この国が
もうこの国の力だけでは
存在しえないことを
今知らされて
 
ようやく環境保護だとか
老人介護だとか
騒ぎ始めた
 
そうだ結局何でもいいから
おかしいと思ったこと
 
自分の死んだ後の世代が
どうなるのか
そこに怒りを
たたきつけなければ

                                

 

 

 

 

 

 







「頭痛」
 
頭のまわりが痛い
ちょうど電流が
何処かでもれて
ピシピシいっているような
気がする
 
『ただ眠るのが一番』
ーと妻が言う
今はその言葉に従って
ただ眠る
 
頭のなかで夢が踊る
考えられないストーリーが
広がっては消える
 
脳には神経がないので
頭痛は
その周辺の神経によると
本に書いてあった
長引く頭痛は
要注意とも記されていた
ーーーただ休むことに専念だ

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢」
 
 
僕は小さい頃
いつも自信がなかった
何をやっても
満足がいかなかった
 
野球の大会では
ボールをとり損ねたり
空振りばかりだった
 
中学のとき一度だけ
二塁打を打ったことがあったが
自分でもまぐれだと思った
 
釣をしても
ほとんど何も釣れず
走ってもすぐ腹が痛くなった
 
そんなことにもめげず
毎日釣りに行ったり
ボールを追っかけ河原を走った
 
 
 
 
一度でも良いから
『やった!』
ーという満足感を抱くのが
夢だった

                                

        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「妻の死」
 
妻が死んだと知らされた
正確には殺されたと----
子どもたちと私は
死体を見ないまま
翌日に骨となった妻という人のものを
受け取った
 
私はしきりに
遺伝子を調べようと考えた
だがどうやって
妻と判定できるのか
 
妻が殺されたのは
何処かの外国の公園の中か
誰かに誘拐されたのか
----詳しいことはわからぬまま
ただ骨だけが届いた
 
 
 
 
 
 
  
こんなことが夢の中で起き
私は未明から頭が冴えて
床の中で
静寂の中に聞こえる
何かを捉えようと
夢と現実が交差した時間帯を
彷徨い歩いた

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「爺さまの準備」
 
だいたい五十を過ぎると
髭にも髪にも白いものが混じる
若いと思っていても
体が爺さまに近づいたことを暗示する
 
心が若いと思っていても
自分の体が老いに向かっていることを
あまり意識しない
「爺さま」は突然やってはこない
 
少しづつ自分が
シルバーシートとに近づいていることを
周りの人が知らせてくれる
元気でいることは老若に関係ない
年をとるにつれ元気になる人もいる
成人の日も敬老の日もある
 
「老人の日」はない
人はいつから老人になるのか
なってみなければわからない
何になるにしても
そこに到達する
 
 
 
 
ここらで
「爺さま」になる準備を
ぼちぼち
始めるのがいいだろう
 
若者が急に老いるのは
みっともないし
老いてから
楽しめるものもあるはずだから
準備怠るべからず

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「懺悔文」
 
朝夕に
お経を読み
仏の前に手を合わす
 
五十近いわが身が
今在る有難さに
心から感謝して
良い日ほど
心引き締めてかかれと
修証義の言葉の意味を
重ねて
心に刻み込む
 
生在って 
死在る
生そのものが死であるかどうか
今まだ悟るに至らない
欲が無くと言うのは
容易いが
この世で行うのは
難しい
 
 
 
 
 
「悪に染まらず悪をせず」と言う
言葉の中味は
わかっていても
この世には
まともな事だけ
有りはしない
頑張れば頑張るほど
良いことが
悪いことにもなるだろう
 
たとえ自分は
知らなくても
回り回って
誰かが泣いている
こともある
だから 
懺悔文を唱えるいみが
ここにある

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