「隣のグミの実」より

 

―目次―

 

 

.  「上野動物園」

.  「ポチ-生い立ちー」

.  「ポチと父」

.  「2代目」

.  「隣のグミの実」

.  「本棚」

.  「風」

.  「いとこ」

.  「遠い日」

10  「住宅の午後」

11  「ブロードウエーの安売り」

12  「連れて来られた島」

13   「一人酒」

14   「ガンジス川」

15   「巡礼の地」



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「上野動物園」

 

あれは遠い記憶の奥に

消え去ってしまうところだった

 

3歳のころ

たしかここに来たらしい

もう50年も前のことだ

あちこち忙しく走りまわり

山口の祖父を困らせた

 

きょう

あのころよりもっと足早に

園内を駆け巡り

あちこちの写真を撮り

記憶のいくつかでも

掘り起こそうと

電車の出発時間ぎりぎりまで

走り回った

上野駅の新幹線を待つ間に

記憶が甦ってきた

 

 

 

「ポチ-生い立ちー」

 

ポチがわが家にやって来たのは

僕が小学生の頃だ

ジャーマンシェパードの母と

どこかの雑種の子どもだった

 

数匹いた兄弟のなかから

どういう訳か

雌の小犬が貰われてきた

 

シェパードの血を引いているが

耳がたれていた

 

となりに三毛猫がいた

気位(きぐらい)の高い猫で

けっして雄を寄せつけず

生涯子どもを生むことはなかった

 

ポチもこの三毛には

一目置いていて

他の犬が来ると

自分から

けんかを買ってでて

三毛をかばった

 

ある日

父のスクーターに乗って

僕らは郊外に出かけた

ポチが後を追ってきた

時々印を

道端につけながら走った

 

苦しくなると

父の足をかむまねをして

『もう少しゆっくり走ってください』

と伝え

ついに

一日を走りきった

 

 

 

「ポチと父」

 

父が帰ってきた

その声が

酒に酔った勢いで町内に響く

 

ポチが喜んで

迎えに飛び出した

その夜は父の機嫌が悪かった

ポチの首根っこをつかんで

たたき出した

ポチはキャンキャン鳴いて

シッポをまたの下に入れ

どこかへ消えた

 

それ以来

父の酔った声が

遠くから聞こえると

ポチは

自分の小屋から飛び出して

どこかへ行ってしまうようになった

 

『ポチポチ出て来い』という

父の声が

空しく響いた

 

 

 

       

「2代目」

 

ポチ子はすごい

まるで喜びの塊だ

 

私が帰宅すると

誰よりも早くかぎつける

ドアをあけないうちにもう

ワンワンと叫んで待っている

 

空けたとたん

尻尾(しっぽ)が折れるばかりに振って

かけよってくる

 

長いすに横になると

ジャンプして私の上にのり

顔をぺろぺろなめ

どうしたら

この喜びを伝えられるのかと

体を震わせる

こんなにも喜びをあらわすポチ子が

おもしろくて

妻の笑顔がやさしくみえる

これは2代目のポチである

純血のマルチーズだ

 

 

 

「隣のグミの実」

 

コールタールで

黒く汚れたトタン屋根に上り

手を伸ばしグミをもぎ取る

 

二階から見ると

ちょうど

隣の家のグミの木枝が

こちらにはみ出して成長し

どうぞ食べてくださいというように

赤く熟した実を分けてくれた

 

早まって

少々青いのを口にすれば

渋柿を連想させる味が

口中にひろがる

 

外見の美しい物が

実は渋いことを

幼いときに知った

 

 

 

「本棚」

 

地震で倒れてこないようにと

芯張り棒が漆喰と

本棚の間に渡っている

 

子ども部屋の大きい本棚は

百科事典の重みに耐えかね

しなるようになった

 

本棚全体が本の重みで変形し

ようやく壁にしがみついている

もうこのへんでいいだろうと

妻と子どもが話している

 

私は頑固に

もっと使うべきだといったが

辞書や吉川英治の

宮本武蔵シリーズなどが

どんどん

段ボールに入れられていく

 

子どもたちの漫画本も

ほぼ取り除かれ

空っぽになった本棚は

何か気の抜けた空間を

蛍光灯の下にさらす

 

明日は粗大ごみと一緒に

道路脇に並べられる

外は五月の冷たい雨

 

 

「風」

 

春も浅い肌寒い日

急に風が舞い神棚が転がった

神主が驚いて元に戻した

有りえないことが起こった感じだった

地鎮祭が終り

アパートが建つことになった

 

しばらくして

次々に問題が起き始めた

設計が建蔽率に合わない

工事が進まない

そのうち話を持って来た

セールスマンがやめた

結局この建築会社を

断わることにした

どういう訳か

下水工事だけは進んでいたが

使われることのないまま

取り壊された

 

別の会社に依頼した

再度執り行われた地鎮祭

この時

風は吹かなかったと

あとで母が語った

 

 

 

「いとこ」

 

いとこに再会した

もう三十年振りのことだ

駅に奥さんと迎えにきた彼は

思いのほか

頑丈そうな大人になっていた

 

小学生の頃の顔を

思い描いていたけれど

そこにはやさしい彼がいた

 

もうその後はただただ

会話の連続で

何から何まで

気の合う友のように

言葉が尽きない

 

あっという間に時間がすぎ

帰りの電車の時間がきた

そびえ立つ団地に

暗闇が迫るなか

夫婦に見送られ

凝縮された三十年が過ぎた

 

 

 

 

「遠い日」

 

思い出して書くことは

遠い日のあれこれを

脳の一部から引き剥がし

あああんなことがあったのだと

自分の事なのに驚いて見る

 

何とも無謀な少年時代を

自分の事ながら生きて来たのか

と生傷の絶えなかったころを思い出す

親の語った幼いころを

いかにも自分が覚えているように

多少の空想と事実の狭間に

ストーリーができ上がる

小説のような驚きはないが

自分の世界でもがいていた事を

振り返って納得する

 

   

 

 

「住宅の午後」

 

日曜の午後、

台風一過、

庭の芝生脇にある小さな花壇で

草をむしる人がいる

静かだがコミュニケーションの無い住宅では

人々の挨拶は滅多に聞かれない

大人も子供も唯黙って通りすぎ

決して顔を会わせない

可笑しな人達だと言っていた私たちも

6年も住んでいると

同じような人種になっているのだろうか

年々くすんで行く住宅の壁が

また一段と汚れて見える

 

 

 

「ブロードウエーの安売り」

 

ブロードウエーを歩いて

目的の劇場へ向かった

 

ふと

隣の土産屋に入って

サムソナイトの

カバンに触れた

 

店員が半額で

百五十ドルだという

しばらく見ていると

百ドルにするという

 

これから劇場に行くから

持って帰れないというと

特別七十ドルにするという

 

本物のサムソナイトかと聞くと

開けて見て

大丈夫だという

帰りかけると

四十ドルでいいという

 

何か不思議な

ディスカウントに

であった思いで

そのまま外に出た

 

 

 

「連れて来られた島」

 

上野駅を望む不忍池

ビルが乱立し騒音がこだまする   

古くからこの池は水が絶えることなく

たくさんの鳥が集まってきた

いつのころに動物園が入り込み

外国の鳥が持ち込まれた

それでも昔から通い慣れた鳥たちは

この池にやってきて

冬を越し去ってゆく

つれてこられた鳥たちは

そのままここに残る

 

 

 

「一人酒」

 

師走の休日

運動の後酒一升を買う

ふとしたはずみで

買ったばかりの一升瓶を道路に落とした

ガラスが飛び散り

中身は道路に吸われた

―これは酒を飲むのを

やめろということかーと心に問いかけた

 

気分転換にとうどん屋にはいった

かまぼこ、けんちんうどん、

そしてお酒も一本注文する

 

客のいない午後

一人 酒を口に含みながら

今年の出来事をかみしめて

じっと目をつぶる

さっきの一升瓶のことを

忘れたかのように

 

 

「ガンジス川」

 

朝日昇る川

ボートの上から

心を込めた祈りをささげる

 

霧の向こうに

ささやかに光を放ち

何かが輝く

そんな太陽が

生きて今

目の前に浮かぶ

力強く

櫓をこぐ男のまえに

数々の船がガンジスの流れに沿って

朝日を迎える

 

川べりでは

洗濯の布をたたきつける音が響き

祈りの音楽と鐘の音が拡散する

 

死者を焼いた赤々とした火がかれて

また きょうも

天に招かれた人々の

火葬が続き

川がやさしく包み込む

 

 

 

「巡礼の地」

 

敬意があちこちに見られる

このインドの大地に

はるか時間を越えて

 

ある人が悟りをひらいた

その悟りのゆえに人々が救われ

時間が流れた

人は地上のいたるところから

この地をめざしてやってくる

 

体をすべて用いて祈る人

建物の周りを祈りながら歩む人

巡礼の集団が

芝生の上に腰をおろし

読経の声が空にこだまする

 

それぞれの思いを込めて

祈りが届くようにと

菩提樹の下で

悟られた人の思いが

ここに生きる

 

 

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