「柱のきず」より

 

―目次―

                        柱のきず

                        お灸

                        餅まき

                        セミとり

                        ヘビ

                        転ぶー踏んだ丸太―

                        別れ

                        スイカ

                        鰯(いわし)の島

10                いくさごっこ

11                正月

12                グローブ

13                キムチ

14                熱帯魚

15                子供の頃

16                アルバム

 

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「柱のきず」

 

こどもたちのつけた柱の傷

古い家の杉の柱に

ある時だけ

沢山の傷が刻まれ

君達の日付けが残る

兄弟や従兄弟らと背丈を競った

あの頃がここにある

傷は柱の痛みであり

今では誇りにもみえる

お盆や正月になると

戻ってきた孫たちの声を刻んだ柱

きょうふと見ると

一番高いところに残る鉛筆の跡

子供が親を超えた背の高さを

柱の傷が語ってくれた

 

 

              

 

 

 

 

「お灸」

 

幼い頃の私はだいぶ

親を困らせたらしい

ある日手に

お灸をすえられた

 

燃え上がる煙に

私は号泣し

もうやめてほしいと頼んだらしい

「お灸は一回だけでやめるものではない。」

―という祖母の言いつけで

母たちは

もう一度線香に火をつけた

 

 

 

「餅まき」

 

この辺では

家を建てるとき屋根の上から

餅をまく風習があった

「うちでも餅をまいて」

−と三歳にもならない私は

祖父に懇願したらしい

 

ついに祖父は

庭に「鶏の小屋」を造った

そして僕のために小屋の上から

餅播きをしてくれた

「ニワトリ小屋を建てて

餅をまいたのは、

この島では初めてだ」と評判になった

 

 

 

 

 

「セミとり」

 

子供の頃

母の実家に行った

盛岡から二日かけてたどり着く

瀬戸内の島だった

 

驚いたのは

沢山のクマゼミだ

北国で羽の茶色い

アブラゼミ取りに飽きていた僕は

透きとうるように美しい羽の

クマゼミ取りに夢中になった

 

数日後

鳥かごの中は

彼らでいっぱいになった

 

そんなセミ取りを幾日かして

また神社に行くと

クマゼミが無数に飛び交って

―最初の感動がうすれだした

 

その上 夜になると

鳥かごの中で

セミの死骸に囲まれた

自分の姿にうなされた

 

―それ以来

島でのセミ取りは

ぷっつり止んだ

 

 

 

「ヘビ」

 

それは後味の悪い瞬間だった

小さい島にしては

極めて立派な神社があった

 

ある日ふと見ると

桜の幹を

シマヘビが登っていく

 

私はとっさに

持っていた虫取り網の

竹の部分で

ヘビを叩きはじめた

 

赤い血がさっと見え

彼は木から落ちて

草の間に逃げた

 

あとで

神社の蛇は

神様の使いなのだと

祖母に聞かされ

その夜 眠れなかった

 

 

 

 

「転ぶー踏んだ丸太―」

 

島はほとんど

常緑の山だった

祖父は

島でも指折りの地主で

山林をみによく出かけた

 

ある日私は途中までついてゆき

一人で走りながら帰ってきた

 

田圃のあぜ道で何かにつまずき

もんどりうって

大地にたたきつけられた

 

振り返ると大きな“青大将が”

するりと

田圃に逃げ込んだ

 

踏んだ丸太は

彼だった

 

 

 

 

 

「別れ」

 

白い浜辺が遠くに見えた

曇り空の下でいつまでも

手を振る祖母が小さくなった

もう暫くしたら僕が

アメリカに行く時のことだ

 

山口の祖母の住む島を訪ねた

私は瀬戸内に浮かぶこの小さな島で生まれた

祖母は

「おまえの氏神様はここの神社なんやから」

―と口癖のように言っていた

 

祖父が死に

一人で生きていた

私が島を離れる日祖母は

「もうこれで会えんかもしれんな」と言った

 

桟橋でいつまでも手を振り

私の船を見送った

祖母とはそれが

最後の別れだった

 

 

 

 

「スイカ(西瓜)」

 

胃がんで入院した祖母に手紙を出した

“カルフォルニアでは

スイカ(西瓜)が大きくて美味しいです“

―と書いたらしい

そのころ祖母は

何も食べられない状態だった

 

僕の手紙を母に読んでもらい

スイカが食べたいと言った

そして美味しそうに食べた

ヒロちゃんのおかげだ

―と言った祖母の言葉を

後で聞いたが

しばらくして

この世の人ではなくなった

 

 

 

 

「鰯(いわし)の島」

 

不思議な光景だった

神社の松の枝に

たくさんの鰯が

ぶら下がっている

海に居るはずのものが

どうしてと空を見ながら考えた

 

海辺にはまだ息の有りそうなのが

波に洗われてふわふわ浮いていた

そこに黒々と太ったカラスが

大空からやってきた

 

白砂に打ち上げられた魚を

くちばしでくわえると

山の方に飛んで行った

 

これで理由が判った

かれらは虫の息の鰯を食べ

飽きてしまうとそのまま

松の枝に引っ掛けるのだ

 

その年

この小さな瀬戸内の島は

鰯の物干し場になってしまい

吹き寄せる風に

腐った魚のにおいが

島中に漂った

 

 

 

 

 

「いくさごっこ」

 

町内の子供たちは

竹や木の棒をもたされて

殺気立った

となりの街の悪童たちを攻撃するのだ

中にはパチンコ鉄砲を

持ち出したものもいる

 

ヤーという一声で

材木置き場は戦場になった

小石を投げたり

あいての基地を叩いたり

まるで戦国時代だ

 

幼い僕たちは

ただ上級生の足元で

じっとしているのが関の山

戦争ごっこが

もう遊びではない有様だ

 

でもどうして

こんな戦(いくさ)をするのか

誰もわからなかった

 

 

 

「正月」

 

黒豆は正月のちゃぶ台の上に

七日間欠かさず置いてある

寒さの続く北国では

正月のおせち料理を入れた重箱が

主婦を仕事から

しばらく開放してくれた

ほんのひと時だが

台所に立つ時間が減った

 

来客の残したお酒が

徳利に入っていた

冷え切った酒を私は飲み始めた

 

次第に心が軽くなり

そのうち自分の周りの世界が回転しはじめた

もうその後はよくわからない

 

外出から帰ってきた母が驚いた

六歳の子供が

畳の上に転がって目を白黒させ

意味不明の言葉を呟いているのだ

隣のおばさんも駆けつけて

ちゃぶ台のお酒を入れた二合徳利が

空になっているのを見つけた

もうなんとも出来ず

酔った小虎を見守った

 

以来私は

“酒”の匂いを嗅ぐのも嫌になった

酒粕の入った味噌汁や

甘酒すら喉を通らなかった

 

私が次に酒を口にしたのは

二十歳を過ぎたときで

このときサントリーの角瓶を

一本空にしてしまい

三日間食べ物が喉を通らなかった

鹿児島へ遠征したときのことだった

 

 

 

 

 

「グローブ」

 

家族で小岩井牧場へいった

父はこういうときは決まって

ネクタイをしていた

緑の芝生の上で

おにぎりを食べた

 

不思議なことに

こんな所に

野球のグローブを持ってきた

私は父のあの強いボールを

受け止めるのが苦手だった

 

力を加減しない

スピードのあるボールを

薄い皮のミットで受けると

小さい手のひらが

赤くなるほど痛かった

 

手のひらで

じかに受けたかのような

その傷みは

いまも脳裏に残る

 

 

 

 

 

「キムチ」

 

秋になると

白菜を山のように買い

母はキムチをつけた

朝鮮で覚えたというその味は

冬には欠かせないおかずだ

 

紅いトウガラシ

するめや昆布

真っ白い白菜の切り口の間に

丹念に押し込まれた“具”が

また舌に味を呼ぶ

 

東北の寒さの中で

じっくり熟成した

キムチの味は忘れがたい

 

 

 

 

「熱帯魚」

 

息子が魚を買い始めて一年になる

初めは弟が祭りで買ってきた

小さな金魚を水槽に入れ

ベランダに置いた

 

そのうち何処からか

メダカを持ってきて

卵から子供をかえしはじめた

 

金魚はどんどん大きくなった

半年も経つと

水槽を我が物顔に泳ぐ

 

そのうち息子は

熱帯魚屋に通うようになった

まずネオンテトラを買い

今度は自分の部屋に

六十リッターの水槽を置いた

 

三十一匹のテトラは光る青い目と

真っ赤な尾びれも美しく

アナカリスの林の中で

優雅に泳ぎ回る

 

水槽はだんだん込んできた

黒い口が象に似た

エレファントノーズ

 

そして自分のすみかを争う

大きな口のフレコは

ナマズのような口を開き

水槽の藻(も)を食べる

 

六匹のコンゴテトラは

大きなひれをなびかせて

アマゾンソードに逃げ込む

小魚を追いかける

 

雄のグラミーは

引越してくるやいなや

メスへのラブイコールを繰り返し

口から泡をふき

水面に卵の巣を上手に作る

 

最後は

オタマジャクシのような

オトシンクルス

コチョコチョ泳いでは

水槽を掃除してくれる

 

こんなに混んだ水槽の隣に

最近ピラニアの子供たちが

入居してきた

たった五匹が

隣の魚をにらんでいる

 

 

 

 

 

「子供の頃」

 

詩をまとめて

ファイルにする

写真を添えてみると

生き生きと語りだすようだ

 

もう何十年も前のことを

思い出しては言葉にした

 

過ぎ去った日々の出来事は

何の解説がなくとも

いま心にわきあがる

ただ遊ぶことに

夢中だった日々

 

出来事を

時計が時を刻むように

受け止めて生きた

子供の頃

 

毎日が冒険のように

心高鳴る日々を

いま懐かしむ

 

 

 

 

 

「アルバム」

 

過ぎ去った

あの頃の写真を見るとき

そこには子供たちの

幼い顔があり

あどけない笑顔が広がる

 

もうあのころの

君たちはいない

もうあの頃の

私たちも戻らない

 

子供が小さい頃

私たちも若かった

思い出は写真の中に残されて

いまアルバムの一枚一枚に

心を移す

 

あの頃の君たちは

かわいらしくわがままで

あの頃の私たちはいったい

どんな父母だったのだろう

 

昔の家に犬がいて

君たちが走り回った部屋は

今はない

 

若い父と母がまるで

兄弟のように見える

 

当たり前のことだが

子供の頃はもう戻らない

そのときそのときを

一生懸命生きてきた

 

こんなときが幸せだったと

思う間もなく

子供は大きくなり

自分の世界を作り始めた

 

幼い日のあどけない笑みが

アルバムに残り

いつまでも変わることがない



 
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