幸田比呂
――――――――――――――――――――
1.「リフォームというアート」
2.「ハウスdeアート」
3.「坪庭アート」
4.「根を張るもの」
5.「幸せの朝」
6.「ツゲの木」
――――――――――――――――
築45年の家に手を加えた
家が古いので何でもできる
まず初めに台所の目立たない
壁に珪藻土を塗った
数億年も前の生き物の化石だ
アトピー防止や空気清浄機能があるらしい
しばらくして居間の壁を塗った
だいぶ慣れてきたので仕事も早くなった
5キログラム入りの箱がすぐに空になり
次第に壁塗りは家じゅうに拡大した
1年経つと
1階が終わり2階に進出だ
箪笥で隠れたところ以外は
すべて塗り終えた
2年目になり
玄関の壁塗りが完了した
知人の描いた20号の大作
八幡平の油絵を飾った
大きくもない玄関に客が来れば
すぐ目に飛び込む
今度は天井塗だ
ここは水性ペイントにした
アイボリー色のペンキを塗ると
部屋中が明るくなった
古い家なので冬に弱い
断熱材の導入だ
外壁に面した壁の
ベニヤ板をはがし
その中にアルミシールを張り
グラスウールを入れた
板を戻しその上に
下北から取り寄せた青森ヒバ板を
張り付けた
作業が終わって部屋に入ると
針葉樹独特のアロマの香りが
部屋中に満ちていた
アートな生活の始まりだ
古い家だからできる
隠せばいいのだがアートに挑戦
風呂場の入り口の壁に
ペンキで家族の絵を描いた
ポチコ、メリーも加えた
長男家族は孫娘と一緒だ
また生まれたら描き足せばいい
インパクトがほしいと
赤で中心に母を描いた
皆を指図しているように見えるが
90近い本人には内緒だ
ついでに台所の大きな壁に
松の絵を描いた
水彩画のテクニックで上から
重力で垂れるような描き方をすると
自然に松林が現れた
これはいいと思っていると
まるで極楽浄土のようだと
母が言った
まだ見ぬ天国を想像するような
実感のこもった言葉だ
アートの家ができてきた
これをハウスでアートと命名した
アートは植物でもできる
家の前に古いトタン小屋がある
家からはみ出した箪笥や
不要物で満杯だ
或る時
何でも屋に依頼して
殆どのものを持って行ってもらった
トラック1杯分にもなった
残ったのは母が
山口から持ってきたという
産湯をつかった桶だ
もう60年以上も前のものだ
水を入れると最初は漏っていたが
木が膨張して完璧な桶になった
整理した小屋の外壁に
網目状のラチスをつけた
その下の土にアイビーを植えた
3年もすると一面に蔓が伸び
斑入りと緑のアイビーが競って
緑のカーテンを作り
立派な作品が仕上がった
小屋の横の庭に
牧草をまいた
数坪の土地に
翌年緑の草が生い茂り
石ころだらけの庭が
常緑になった
夏ともなれば
軒下のキウリが
もう一つのグリーンカーテンを作り
100個もの実りを与える
塀際に植えられた
ミニトマトも負けじとばかり
生い茂り
赤や黄色の子供たちを生産する
庭の真ん中には
ツゲの木が40年も君臨し
庭の歴史を観察する
この空間に流れる風を
椅子に腰かけて受けていると
心は幸せに満たされ
時間と共に仕上げた作品に
思いを寄せるひと時
大きな箱のような白いポットが
ベランダにおいてある
プランターコンテナーと呼ぶらしい
そこにはドアーフシーダー(矮性ヒノキ)が
もう十年以上も住んでいる
そのうち
どこからか飛んできた種子が発芽し
ぐんぐん育った
ケヤキだ
ある日シダーが枯れだした
引っ張るとスット木が抜けた
根毛がほとんど無く
もうこと切れた状態だった
今やシダーのいないポットは
ケヤキの独占状態だ
彼は大きく根を張り
ポット一杯に拡大する
まるで先住者を
追い出したかのように
専制君主のごとく君臨する
幸せをかみしめるなどという事は無かった
幸せーとは何かなどと考慮する時もなかった
ただ在ることだけを頭の何処かにおいていた
これが幸せか
これが不幸かなどと疑問を持たず
何となく生きてきた
其れがよいことか
そうでないことかさえ
心に留めなかった
今
朝の太陽が松林の頂点に達した
目の中が真っ赤になり
血が直接目の中で動き回る
そしてこれが幸福かと自覚した
ああいい瞬間だ
光と共にヒートが体中を包み込んだ
体が熱くなってきた
充実感とともに
幸せの朝が来た
庭の中央部にツゲの木がそびえたつ
40年以上も前に
友人のお父さんがくれた小さな盆栽だった
母が庭に植え忘れていた
庭には、栃の木やアカマツが君臨していた
ツゲの木がそこに植えられている事さえも
気が付かないまま時が過ぎた
そのうち
家の中が暗くなるので
大きな木を切った
庭に日が当たるようになると
ツゲの木が伸び始めた
彼は今やこの庭の主人だ