詩集

「奥入瀬の音」

by  幸田比呂

 

 

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目次

 

.「酸ヶ湯の雨」

.「奥入瀬の音」

.「十和田湖の風」

.「滝よ」

.「横たわるもの」

.「オオシラビソの子孫」

.「蔦湯(つたゆ)の里」

.「八甲田彷徨」

.「残されたもの」

 

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「酸ヶ湯の雨」

雨がしとしと降る

温泉宿の登山客は

足止めを食い

宿に逆戻り

それでも

あるグループは山に出かける

そう若くはない男女が

雨具に身を包み

八甲田めがけて登りだす

 

残った者は

千人風呂の中

巨大な湯船を独り占め

何百年も年輪を重ねた

ヒバ風呂につかる

天井を見上げていると

黒光りした巨大な梁が

何かを語っているような

錯覚に捉われる

 

光はどこからも差し込まず

ただ雨の音が屋根に当たり

懐かしい音に耳を傾ける

幾万人もの人々が

酸性の湯で身を清めた

そんな歴史が

肌を通して伝わる

 

 




「奥入瀬の音」

 

幾万年前のことだろう

火山が爆発し

巨大な噴火口ができた

底にたまった水が

あるときあふれ出て

下流に放出され

この渓谷ができた

今遡上するマスのように

この沢沿いの道を歩く人々がいる

程よい初夏の雨の中

自然の流れは

そのままの足跡を残し

流れつづける

道のすぐそばを走る車の音も

気が付かないほどに

その流れは見事であり

静けさの中に漂う

川沿いに君臨するミズナラの巨木に

目を奪われながら

また歩き始めた

 

 


 

 


「十和田湖の風」

 

森を抜けると

突然現れた

湖は静かで美しい

空は雲一杯に覆われ

静寂だけが湖面に広がる

取り囲む山々も雲に隠れ

ヒトの営みもここでは希薄だ

そろそろと島影からやってくる

遊覧船のすがた

ようやくヒトの影が

見え隠れする

船の作り出す波の形が

鱗のように広がり

また一艘の定期便が船出

二艘の船が平行に重なり

汽笛を交わしたとき

十和田の風がやってきた

 

 

 




「滝よ」

 

滝よ滝よ

おまえはいつでもこんなに

エネルギーを下流に

落としつづけるのか

昨夜の大雨をたわわに蓄えた

上流の山々から

巨大な水のかたまりが落下する

滝つぼの周りでは

苔やシダ

ミズたちが

豊かな水分を浴び悦に入る

水しぶきのあたった葉は

みずみずしく

曇り空の下でも輝く

一重にも二重にも聞こえ

落水音が奏でる交響曲

天の恵みの曲名を

何とつけようか

 

 


 


「横たわるもの」

 

この渓流に

いつの頃か倒れた巨木よ

コケが全身をつつみ

川岸からこちらまで

どうぞお通りくださいと

―言っているようにも見える

沢の流れにおおいかぶさり

清い流れに

巨木が朽ち果てることもない

誰かが取り除かない限り

君はこの沢の架け橋となり

生き物たちの通り道としての役割を

果たしていることだろう

そこだけコケは生えず

遠慮がてらにも見える

 

 



「オオシラビソの子孫」

 

ロープウエイは樹林帯のはるか頭上を

まるで天空を飛んでいるかのように

人々を運ぶ

寒いほどのこの夏の空は

雲に覆われ

時折小雨がちらつく

ほどなく到着した頂は

山登りの始まり

登山客の物々しいいで立ちとは裏腹に

軽いスニーカーの親子が

高原を散策する

霧に包まれた湿原は

ここが何処かも分からないほどの静寂を保ち

もう花の時期が終わった植物たちが秋を待つ

眼前に迫るのはオオシラビソの若芽

世代を重ね

今まで生き延びた君たちの先祖は

その根元に眠っている

やがて君たちも

深い雪の中で

眠りにつく日もそう遠くはない

 

 

 

 


 

 

 

「蔦湯(つたゆ)の里」

 

不思議なことに

酸ヶ湯から降りてきたこの湯は

透明色で飲める

あくまでも清らかな香りは

八甲田の肌の上を流れる清水

旅人達が湯につかり

冬の疲れを長々と逗留し

食べて寝て英気を養った面影が残る

大雪の冬は深い雪の中にこもり

じっと春を待つ

歴史を刻む湯船の梁に

黒々とした年輪を見て

時というものの意味を思考する

そんな思いもじっと目をつむれば

消滅しそうな蔦湯

 

 

 


 

 

「八甲田山彷徨」

 

この下に雪が積もり

樹海が閉ざされたとき

その中でさまよう人々は

どこに消えたのか

森が深く

その寒さと過酷な自然は

ヒトを寄せ付けず

そこに彷徨ったものを容赦なく

餌食にする

自然とはそういうものだと

頭の中ではわかっていても

この広大な森林が

雪に覆われた様子を想像すれば

そんな思いは

抹殺されてしまいそう

 

 


 

「残されたもの」

 

かって存在したものは

戸を閉鎖したまま

今も残る

舗装された立派な道路わきに

昔は繁盛したに違いない

旅館が残る

その堂々としたたたずまいのゆえに

人々は注目し

ノスタルジアの漂う様子に

車を止める

 

 




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