「レントゲンの骨」より

 

 

―目次―

 

.イイギリのつぶやき

原宿のハンバーガー

レントゲンの骨

地下の秋刀魚(サンマ)

残されたキヨスク

静寂の空間

Tシャツの女(ひと)

サッカー天皇杯

マンション広告

10花の刻印

11買い物

12年越しそば

13電車の老人

14電気スタンド

15通勤電車の広告

16地球の一部

17私の中の時間

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「イイギリのつぶやき」

 

私は人間から

イイギリと呼ばれている

このキャンパスに植えられて

もう何年たったか定かでない

 

いつも秋になると

三四郎池のほとりにいる私のいとこは

カメラのモデルになり誇らしげだ

 

私は

言問(こととい)通りの

そばに定住し

あまり注目を集めることもない

 

唯一の願いは

キャンパスの片隅に落ちた

子どもたちが

草刈機で刈りとられないで

立派に成長することだ

 

 

 

 

「原宿のハンバーガー」

 

原宿の

バーガーキングに来る

お年寄りには

元気がある

 

最新のナイキ・シューズ

Jリーグの

サポーターが着るような

ロングのダウンコートを

するりとぬいで

夫婦揃って椅子に坐る

       

きっちりきめて

明るいレッドとブルーの

ライトの下で

ハンバーガーを待つ

 

休日は禁煙になるこの店の

2階に若者が集い

話声が飛び交うなかに

何の不思議もない程に

釣り合った二人

 

店員の持って来るハンバーガーを

静かに待っている

そんな光景を眺める私を

シルバーヘアーが

じっと見つめ返した

 

 

 

 

「レントゲンの骨」

 

現像されたフィルムに

写し出された頭蓋骨は

自分のもの

 

蛍光灯の光りに

黒い骨の形が見える

ここでフィルムの自分と対峙し

首の骨の美しく並んだ造形に

惹き付けられる

 

透き通った物体は

自分の化身であり

見つめる自分自身は

手で捉えられる仮の宿

ーと

フィルムの影が

語っている

 

 

 

 

「地下の秋刀魚(サンマ)」

 

男一人

居酒屋で

何を思って

秋刀魚(さんま)をつつく

 

暑い夕暮れの地下街で

一本のビールに顔を染め

 

手持ち無沙汰に

腕時計に目を配り

また箸を持ち直して

秋刀魚に向かう

 

男一人

大都会の地下に潜り

秋を知る

 

 

 

 

「残されたキヨスク」

 

リックを背負った客たちが

降りたホームは

 

八つの並行に走るレールが

南北に伸び

列島の方向を示す

 

広々としたドームの下は

ほんの一時の旅人が

通過する一点

 

降り立った人々が

去ったあと

 

このキヨスクが

ぽつりと残された

 

 

 

 

 

「静寂の空間」

 

電車は走る

吊革にぶら下がり

片手で新聞を読む

 

黒いレインコートに

身を包み

人々は身じろぎもせず

じっと耐え

静けさと格闘する

 

だれも一言も発せず

じっと時を待つ

この行儀のいい

静寂は

不気味な空間だ

 

 

 

 

[Tシャツの女(ひと)」

 

電車の椅子から

すらりとした足を伸ばし

黄色いTシャツに黄色いバック

半ズボンをはいた女性が坐る

 

いかにも夏らしくきめた姿は

五十路(いそじ)を過ぎた人とは

思われない

 

イヤホーンを耳にあて

何やらブツブツ言っている

 

東横線の朝十一時

電車は人も少なく

自由が丘駅に滑り込んだ

 

黄色いシャツの

若々しい女(ひと)が

さっとリックを肩にかけ

飛び出した

 

 

 

 

 

「サッカー天皇杯」

 

千駄ヶ谷駅は黒山の人だかり

ダフ屋が声張り上げる

帰りの電車の切符を早めに買って

人々に遅れまいとついていく

 

天皇杯サッカーリーグの試合を見に

ここまでやって来た

国立競技場のスタンドは

もう幾万の人々で埋っている

 

赤や青のサポーターの色が象徴し

スタンドの仕分けが

美しい緑の芝生に映える

 

この年末の日曜日

もう正月気分になった人々が

ビールを片手に盛り上がる

 

大スクリーンに

選手の名前が浮かび上がると

歌と声援で地が沸きあがり

キックオフの笛がなった

 

 

 

 

 

「マンション広告」

 

色鮮やかな広告が

びっしり新聞に挟みこまれ

玄関の新聞受けいっぱいに

投げ込まれる

 

力をいれて新聞の束を取り出すと

広告の山―――――――

「悠々たる駅前生活」

「憧憬の地」

「丘の上の永住の風景」

 

人の心をくすぐる表現から

「低金利時代 今が買い時」

―のような文章まで

人を誘う言葉が

折り込み広告に満ちている

 

都会の雑然とした空間に

いかに洗練された建物ができても

なぜか満たされぬ心と

先行きの不安が先行する

 

今朝もまた

新聞受けに

分厚い広告の束が

誘うように入ってくる

 

 

 

 

「花の刻印」

 

紫に黄と白

これはあくまでもトンボの顔

何億年も前から受け継がれた顔

 

スミレの花がトンボの顔と

だれが想像したことだろう

 

花はトンボになり

トンボを引き寄せる

 

花が昆虫になったときから

植物と動物の交信が始まり

 

枯れ葉に変身したカマキリは

カモフラージュで身を守る

 

昆虫が花の遺伝子を

取り込む訳はなく

空間を介した何者かが

かたちに現れた

 

このインビズィブルな

青写真の刻印は

神の御業か

 

 

 

 

 

「買い物」

 

大きなカートに

欲しい物をほおり込む

メモを見ながら

あれこれと手に取り

買い忘れたものがないかと

チェック

 

こんな光景が

何年も続く

何かおかしい 

何か足りない

 

昔  野菜は

八百屋で買った

一本一本

吟味しながら選んだ

魚屋で

生きの良いヤツを取ってもらい

十円まけて貰った

お金はその場で払い

人と人の会話があった

買い物は楽しく

給料前の悩みでもあった

 

今  人の流れにのって

物を求める

楽しいはずの買い物が

何やら仕事の一部にも思え

効率化と大型化がもたらした

人間社会の落し穴に

生きている私たち

 

 

 

 

 

 

「年越しそば」

 

いつの頃から

年の終りの日に

そばを

食べ始めたのだろうか

 

むっくりと 

真夜中に起き出して 

煮えたぎる湯に

生そばをいれる

 

そばはまるで

生きた糸のように

熱い湯のなかで

泳ぎ廻る

 

さっと水を切って

冷水につけて洗うと

プーんとしたそばの香りが

台所に漂う

 

葱を刻み 

そばつゆに入れて 

さっとあの喉越しの良い麺を

口にする

 

スルスルと

今年の全ての思い出が

胃の中に流れ込んだ

 

 

 

 

 

「電車の老人」

 

老人が坐っていた

目の前の電車の座席は

朝刊を

食い入るように読む

男たちでいっぱいなのだが

その人はじっと腕を組み

鞄をしっかりと

抱きかかえるように

目を閉じたままだ

 

大きい茶色縁の眼鏡の下に

やせた頬が

時折引きつるように揺れる

 

ラッシュアワーの

殺気立つ時間帯に

いかにも

不似合いな老人が

一人ぽつんと

輝いて見えた

 

 

 

 

 

「電気スタンド」

 

地震のあとのように

薄暗い影の下で

ご飯を口に運ぶ

いつもの明るい食卓から

光りが去った

 

テーブル脇のフロアースタンド

もう何年も周りを

明るくしてくれていたセラミックの傘にも

穴があいている

 

それが昨日

突然パンという音をたて命を閉じた

ソケットが焼切れたらしい

食卓は昨日も今朝も

薄暗がりのまま

 

捨てられる運命にある

フロアースタンド

カバーに焼け焦げて

ぽっかりとあいた穴が

私を睨んでいる

 

 

 

 

 

「通勤電車の広告」

 

ふと電車の広告を見ると

異変に気が付いた

「000」という金融業者の中の

娘たちのポーズが

ごまかしにも見え

この国の先が予想される

 

予備校と英会話学校は

相変わらず

定席コースの場所をとり

にこやかな白人女性が

さも気品高く招く

 

老人相手の病院は

余裕のありそうな婦人を

後ろから支えるやさしそうな

看護婦さんとの

ツーショット

 

「ローン」と「語学学校」と

「シニアの病院」が

あたかも現代のキーワードのように

目に飛び込む

 

ふと横の隅に隠れたように

「鈴廣」のカマボコ

アッ これで

ほっとする年の瀬

 

 

 

 

「地球の一部」

 

限られたところを

歩いていても

そこは地球の一部

 

こう思えば

毎日

地球を歩いている

公園に足踏み込めば

別の地球があり

 

あの橋は

地球にかかる空間を渡す

プラットホームのようなもの

 

坂を登ると

地球はデコボコ

ましてイチョウ並木などは

地球を母とし生きるそのものの姿

 

人工の町とはいっても

ほんの地球の一隅

 

 

 

 

 

「私の中の時間」

 

生きているが

死んでいるようだ

 

周辺を人々が行きかい

地下鉄の階段を降りる

靴の音が

絶え間なく続き

生きている事を

伝えてくれる

 

高揚と緊張の時間の圧力が

言葉を思いださせ

手帳を埋めていった

 

忘れかけた昔の事が

昨日の事のように次々飛びだし

文字を綴る指先に力が満ちた

 

電車の中で

ペンを走らせる日が続き

何年かたった

 

あの頃の自分が

どこかに行ってしまい

生きてはいるが

死んでいるようだと感じ

私の中の時間が

同じではない自分を

見つめている

 

 

 

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