『セラピスト』より

 

 ー目次ー

   セラピスト

   病室

    傷跡

   病院の朝

   病棟の夜

   這う

    窓

   リハビリの空間

   ギブス

  10 自由

  11 怪我の功名

  12 ガン

  13 死に場所

  14 介護の詩

  15 病院と老人

  16 待合室

  17 松葉杖

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   「セラピスト」

 

   この大きな部屋に

   人々が集まりリハビリに励む

     足や腰を

   ヒーティングパットで暖める青年

     二キロや五キロの

   重りつきパットを足に巻つけ

   足首の屈伸を続ける女

 

   天井からつるしたロープの端を持ち

     両手を交互に動かす老年の男

 

   首に包帯を巻き首を伸ばしたり

     汗を流して自転車をこいだり

   まっすぐに歩こうとする人達

 

     そしてこれらの人々を  

     一生懸命支える

     フィジカルセラピスト

   午前十時

   リハビリ体育館に

   軽やかな音楽が流れる               

                                
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「病室」

 

   年甲斐もなく

   若者たちに混じりはしゃいだ結果

  アキレス腱を切る

 

  こうして足を固定され

  車椅子に坐ってみると

  何と不自由なことか

  松葉杖を両脇にはさみ

  片足でとびながら

  前に進むのは容易でない

 

  こうして歩いている人達を

  普段見かけても何とも思わないが

  ああ やはり大変なことなのだと

  自分が経験してわかる

 

  整形病棟にはいろんな怪我の人がおり

   各々リハビリに精出す

  内科の病(やまい)ではないので

  皆口だけは達者

 

  いま師走

  外では電車が忙しく走るが

  ここだけは静かだ

                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「傷跡」

 

   このギブスに包まれた足には

   大きな傷跡がある

 

   血管から血が漏れだし

   白い腱の繊維が飛び散る

   麻酔の効いた足は

   まるでしびれが切れた

   別の物体のように

   私の体の一部とは

   とても思えない

 

   朦朧とした記憶の中で

   手術室で起こったことを

   確認出来るのは

     後に残ったギブスの中の傷跡と

   夜中にズキズキ痛む

   感覚のみだ

                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「病院の朝」

 

   元来

   怠け者ですので

   こうして病院のベットの上に横になっていると

   なかなか起きる気がしないのです

 

   朝六時半「おはようございます。

   これから検温に伺います。」と声がかかり

   看護婦さんが体温計をもって来る

   昨日の尿の回数や

   気分の善し悪しを聞き取る

 

   次に大きなヤカンを持っておばさんが

   湯のみ茶碗に湯を満たしてゆく

 

   この頃

   私はようやくベットから起き上がり

   温かい番茶をゆっくり飲み干す

   そうしているうちにお腹がなりだし

   松葉杖を両脇に押し込みトイレタイムとなる

   七時半

    朝のお粥の時間だ

   少し冷めた味噌汁を

   ただじっと黙って喉に流し込んだ

 

   八時を少し過ぎた頃

   食堂に患者は少ないので、

   まかないのおばさん達がテレビを囲み

   朝のドラマを笑いながら見る光景は

   何とも平和な朝です 

                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   『病棟の夜』

 

     暗い病室の窓から見えるものは

   赤々と輝くネオンの光

   電車の音が時折聞こえる

   夜が来た

 

   廊下の隅に患者が何人かならび

   あの薬を

   順番に喉にながし込む

   まるで深い眠りに飛び込む

   前触れのように

   薬の時間は九時の消灯で終わる

 

   今日も眠れないよ

   ーと誰かのか細い声が廊下にながれ

   人々はちからなくベットに潜り込む

 

   窓の向こうの

     ネオンが一つずつ消えてゆく

                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「這う」

 

   このリハビリ室の

   青いマットの上に横になると

   無精髭の男が

   車椅子から転がり込むように

   乗ってきた

 

   ちょうど赤子がハイハイするように

   片方の手と足を交互に突き出して

   一畳程の距離をゆっくり這う

 

   少し慣れてきたのか

   嬉しそうに顔を上げ

   同じ動作を繰りかえす

 

   段々トレーニングに熱が入り

   あの顔がさらに真剣になった

 

   そんな男に気をとられて

   ふと我にかえると

   足の先に付けたリハビリ用の重りが

   急に軽くなる気がした

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「窓」

 

   病院の窓から外を眺めると

     電線にカラスが二羽止まり

   小さな家々が密集するこの街が

   異国のように見える

 

   二度目のアキレス腱の断裂で

   ギブスの足を椅子の上に置き

   手帳を日記がわりに埋めて見る

 

   外は明るく

   二月とは思えない静かな日曜日だ

   昨日から冬のオリンピックが長野で始まり

     休憩室のテレビには

   雪降る山のスキー場が映し出される

 

   ふと 

   また 

   目を窓に向けると

   東横線の電車が家の間から現われて

   カラスがパット飛び立った

                        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「リハビリの空間」

 

   この体育館のような空間に

   いろんな道具がぶら下がる

   人々は

   青いマットの上に横になり

   手足のストレッチやら屈伸に余念がない

 

   ベットの様な台の上には

   運動選手らしい若者達が

   男女の別無く陣取って

   足にホットタオルを巻き横たわり

   会話に夢中だ

 

   時々セロピストがやって来て

   テーピングしたりして

   手足の具合をチェックする

 

   年老いた人々は

   車椅子から降りると

   とても病人には見えない

   平行棒に手をついていれば歩けるのだ

     ゆっくりと白線を踏み

     まっすぐ歩く練習

   階段を上がったり降りたりする訓練

 

   首を固定している人

   両足のはかりに乗りバランスをとる人

   二階を見上げれば

   筋肉アップのマシンが並び

   ラットプルダウンや

   ベンチプレスに力がこもる

 

   もう年には関係なく

   ここの空気は

   皆よくなろうとする思いで溢れている

   頑張るぞ

   ー という言葉が胸のなかで叫び出す。         

                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「ギブス」

 

   アキレス腱を裂断して

   ギブスが右足に巻かれた

   どういうわけか包帯が固まると

   プラスチックのギブスになり足をまもる

 

   こうして三十日間

   鋼鉄のような

   白いプロテクターをつけていると

   だんだんからだの一部の様に思えてくる

   たしかに夜寝ているとき

   曲げる事もできないし

   痒いところには手が届かない

 

   そんな不便さとはうらはらに

   守られている

   安心感の方が心地いい

 

   さあいよいよきょうは

     そんな彼ともお別れだ

   医者のにぎる電気のこぎりが

   足の一部を切断して行く

   そしてギブスははぎとられ

   中から痩せ細った右足が現われた

                               

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     「自由」

 

   この右足の腱が縫合されて

   ほぼ五週間

   傷口も閉じ風呂にも入れる

   温かい風呂が

   これほど気持ち良く感じたのは久々

 

   指で傷口の周りをこすると

   ぼろぼろと古い皮がこぼれる

   一ヶ月間のギブスの中でも

   皮膚は着実に新陳代謝を繰り返していることが

     抜け殻のような足の皮膚でわかる

 

   今こうして足を暖めていると

     お湯の中では良く足首が動き

   感じる言葉はただ自由だ      

                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「怪我の功名」

 

 

   年の瀬に入院した

   アキレス腱の怪我

 

   六人部屋の病室で過ごした

   一ヵ月あまりの間

   四名の人が入退院した

   わかったことがいくつかあった

   世の中とは

   色々な人の集団であること

 

   関心の的は

   スポーツ新聞に載っていること

     テレビを離せないこと

   そして家族が

   いつも見守っていること

   体の痛みを

   心から分け合って生きる人の中で

   束の間の人間を感じた

                               

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「ガン」

 

    待合室のソファーに坐った男が

   放射線を照射しているんだと

   突然言った

   ふと横を見ると

   あんたはまだ若いから

   治りが早いよと

   私の足のギブスを見てつぶやいた

 

   良く見ると

   老人の喉の皮膚は

   かさかさに黒ずんでいる

   痛くてメシがよく通らないんだと

   また一人で話し始めた

 

   待合室のテレビが

   雪のオリンピック会場を

   にぎやかに映し出した

   彼の顔が

     とたんに明るくなった

                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「死に場所」

 

 

   遠い国のことを夢に見るはずが

   いつもきまってありふれた建物が現われる

   動物はなぜか生きた土地を離れて死ぬという

   その時動物には家族もなく

   ただ星の光の下

   彷徨い歩いて

   目をつぶるのだろう

 

   象は決まった墓地にいくという

   巨大な白骨の森がそこには在り

   たいがい大きな洞窟が死に場所だ

 

   人は墓にはいるが

   灰となり山や川に戻るものもいる

     何を望もうとも命は止まり

   死に場所が待ち受ける

   死ぬところと死んだ後に埋もれるところが

   同じであることもない                           

  

 

 

   人は欲深く自分勝手な生き物なので

  都合の良い死に場所を求めて

   一生彷徨うに違いない

                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「介護の詩」

 

   これは下半身との戦いだ

   ペニスに突き刺したチュープから

     尿がビニールパックに流れ込み

   黄色で満たされる朝

     これはバックの中味を

   トイレに捨てて流せばいい

 

   匂って困るのは

   オシメについたお尻から出てきたフンだ

   はみ出さないときはお尻を拭いて

   トイレに中味を息をこらえて捨てて

   フラッシュする

 

   赤ちゃんのオシメ洗いは母の役目と

   むしろ誇りをもっていたものだが

   年老いた人のオシメ洗いは

   なぜか心重く

   我が末をしんみりと考えさせる

 

  

  

 

   これがベットのシーツを

   丸ごと洗うことともなれば

   何と重い人かと

     下半身の世話をする度思う

 

   「ああ、私の一日はトイレまみれ」

   でも口からトイレのもとは入るのだから

     汚いときれいの区別は

     もう今ではわからない 

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        

 

 

 

 

   「病院と老人」

 

    何と老人の多いことか

   病院の廊下は老人で埋り

   血を採る看護婦で忙しい

 

   急患で担ぎ込まれるベットの上で

   ハアハア息も痛々しい

   もう十年もすれば病院は老人で溢れ

   若者の姿はまばらになるだろう

 

   人は唯長く生きても意味がないと

   知ってはいても

   生きたいし、食べるだけ食べて

   生にしがみつき医者に通う

 

   こうしているうちに

   誰かが自分を守っていてくれると思い

   自助努力がうすくなる

 

     年をとれば

   皆体がおかしくなるのは

   当り前なのです

   ーと言はれても

 

   おのれの場合は

   死への不安が

   より一層心をよぎるのですから        

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「待合室」

 

 

   朝早くからソファーに坐り

   老いた父のかたわらで

     話し込む娘

 

   何十ものソファーが

     向き合う廊下

 

   それぞれの人々が

   それぞれのやまいの故に

   自分の名前が呼ばれるまで

   辛抱強く待つ

 

   病院の待合室は

     時間が止まった

   時計の中にいるようだ

                                

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

  

   「松葉杖」

 

    私たちは松葉杖のようなものだ

   お互いが助け合い

   支え合っていなければ

   もう一人として生きて行けない

 

   片方の杖だけでは

   よろけて前へ進めない

   普段ただ見過ごしにする

   無関係に見える人々は

   実は私を支えてくれる

   松葉杖のように見えてくる

 

   人の世はかくも大きく複雑だ

   松葉杖の数は増える

   傷を負った人間に

   それを支えてくれる杖がある

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