「僕がトムソーヤの頃」より


 

目次
     中州
     へんとう腺 hentousen
     栗ひろい
     夜店 yomise
     
     自転車
     高松の池
     仁王田圃(ニオウタンボ)
     河北小学校
10   隠れ家
11  マメ柿
12   栗の木
13   神輿 みこし
14  雫石川 しずくいしがわ
15   ハチ
16   海苔 のり
17   
18   栗の森
19   古本屋
20   筋肉 kinn-niku
21   紅玉
22   ポチ「僕がトムソーヤの頃」

TOPへ 

 

 

「中州」
闇が迫っていた
川の水が段々上がって
もう あちらの岸に渡ることが出来ない
僕たちは中州に取り残されたのだ
 
子供だけで釣りにきた
僕は小さすぎて
ついてきたと言うのが本当だ
 
中州川と北上川の交差する
東北本線の鉄橋の下だ
 
日が暮れてどうしようもなく
たたずんでいると
ゴムの長くつをはいた大人が数人で
僕たちを背負って渡ってくれた
 
裸電球の輝く町に帰ると
町内の大人達が心配して探していた
母の姿を見ると涙がこぼれだし
懐に飛び込んで僕は泣いた
ある夏の事だった

 







「へんとう腺 hentousen」
小学校に入る頃
へんとう腺を取られた
 
あの頃は何の為か
やたらに切り取る習慣があった
 
麻酔もしないで
いきなり口のなかに
大きなペンチをつっこまれた時は
その恐ろしさに
声を出して泣いた
 
真っ赤な肉片を
取り出され
ただ血が出るだけであった
 
どの様にして
血が止まったのか
不思議なことだが
覚えていない
 








「栗ひろい」
僕がまだ
小学生になったばかりのころ
珍しく
父と母とで
大きなリックを背負い
栗ひろいに行った
 
米内あたりの山を
父はよく知っていた
 
栗の木を見つけては
その丸い幹を揺すり
母がせっせと拾った
 
半日でリックはいっぱいになり
父はいきようようと
タバコをふかしていた
 
その時の父と母とが
どれだけ幸せそうだったか
子どもの僕にもよく分かった


    

 
 







「夜店 yo-mise」
陽が沈む頃
街は夜店で一杯になった
近くの農家の人々が
野菜や花などを長町の道脇に
並べて売り出すのだ
 
夏になると今ではみられない
白と黒の交じったトウモロコシ
そんなに甘くはないが
黒いアントシアンの色が
作る農家によって違い
おもしろかった
 
この辺ではトウモロコシを「キミ」と言っていた
「トウキミ」がなまって
「キミ」になったのだろう
 
秋には
“あの柿”がでまわった
小さな「べた柿」は一山二〇円で
売られていた
 
僕は柿が大好きで
柔らかい果実を食べ過ぎて
肌が柿色になった気がした
 
あの頃 硬い甘柿は手に入らず
渋柿に焼酎をかけて
甘くしたのだろう
 
夜店と言えば父に連れられて
「キミ」を選んだり
「かき」を買った頃が忘れられない
裸電球の灯でそこだけ
薄明るい街だった
 







「池」
家の前に小さな池があった
何のための池かわからぬが
フナやゲンゴロウが泳ぎ廻り
トンボが卵を産みにきたりした
 
ある日 池の淵で中を覗いていると
何かのはずみで体ごと
飛び込んでしまった
 
水の中でもがいていると
眼の前を大きなフナが通り抜け
別世界の様だった
 
池の持ち主の怖かったおじいさんが
死んでしまうと
池は埋められその上に家が建った
 







「自転車」
小学生のころ城へ写生会へ行った
上級生が石垣の上から飛び降りたら
自転車を貸してやると言った
 
その頃自転車は珍しく
貸し自転車屋が街に来たくらいなので
怖かったが眼をつむって飛び降りた
 
ところが 下は岩になっていて
胸を強くうちつけ しばらく
息もできないくらい痛かった
 
ふと見上げると
上級生はそこにはもういなかった
 
きっと恐ろしくなって
逃げだしたに違いない
結局自転車は借りられず
こんなことは二度とやるまいと思った
 
大人になった ある日
あの石垣の上に立ってみると
三メートル以上もあり
 
よく六歳の子供が
ここから飛び降りれたものだと
自分の事ながら
感心した

 
 







「高松の池」
江戸時代にできたと言う
このため池は
春になると桜の美しい所だ
 
湖畔の周の山々が
一気にに咲きだし
ひとびとが花見に集う
 
幼い頃
家族が揃って花見をした
その写真が今も懐かしい
 
冬ともなれば
僕たちは
池に落ち込むような
林檎畑をスキー場にした
 
短いスロープにジャンプ台を造り
ころげまわって遊んだ
 
夏は腰まで水につかり
毎日のようにフナ釣りだ
 
全く釣れないのに
日暮になると
ポチャポチャ
鯉やフナが水面を飛んだ
 
それをみると
いつまでもやめられなかった
 
 






「仁王田圃(ニオウタンボ)」
小学校の出来る前
仁王田圃はその名の通り
いたるところ田圃だった
 
春には青々とした苗が育ち
夏の盛りになると
イナゴやバッタが飛び
冬は氷の張る遊び場だった
 
僕は ここのお寺の幼稚園に通った
遊び場は墓地の中で
夕方になると恐ろしかった
 
火事の避難訓練のときには
お坊さんの園長がたらいを叩いて叫ぶので
こわがって泣き出す子供らの声が
田圃にひろがった
 
 
 






「河北小学校」
この小学校には三年生の頃移った
桜木小学校から
長町の子供達全員が
仁王田圃に出来たこの新しい学校へ来た
 
校舎のある場所は
以前お墓が並んでいた
お寺があって私はその幼稚園に入った
遊び場は墓地だった
そういう訳でこの校舎は
なにやら夜になると気味悪く
よく“肝だめし”に連れて行かれた
 
秋ともなれば模型飛行機を作って遊んだ
ある日僕のゴム飛行機が校舎を飛び越えてしまい
歓声をあげて喜んだ
青い空にとんぼが群れなす中に
飛行機は消えた
 
 






「隠れ家」
あのイチイの木が
まだ有った
それは山田線の線路わきに
てっぺんを切られて生きていた
 
小学生の私はよくこの木に登り
自分の隠れ家にして遊んだ
ある時は
隣のニワトリの生んだ卵を
この木の上で
生のまま飲み込んだり
 
すぐ近くの栗林で拾った
手にはみ出しそうな大物を
数えたりした
 
あれは小学一年のころ
この木の前の
鉄橋を渡っていると
汽車がきて警笛を鳴らし
止まってしまった
 
またある時は
この鉄橋の下に潜り込み
通る汽車の蒸気を浴びて
得意になったものだった
 
そんな僕のあれこれを
このイチイの木は
笑って見ていたに違いない








「マメ柿」
 
細い枝の間に足をかけて登り
 
どっかりと腰掛けて
黒く熟したマメ柿の実を口にした
 
すずめがついばんだ
小さな果実を除き
くちの中に残るたくさんの種子を舌で集め
プ?と空に吐き出す
 
秋空にマメ柿の実が飛び散り
腕白坊主が一人
木の上を占領した
 
 







「栗の木」
大きな実なので
子どもが握ると手に余る
包丁で切口を入れ
焚火に投げ込むと
ほのかに甘い秋の香りがした
 
ある日
山田線の線路ぎわにある
その栗の木の下で
イガをゴムながくつの先で
夢中で取り除いていると
その家の男が
私のくびねっこを捕まえて
何処の小学生だとどなった
 
恐ろしくなり
しばらくじっとしていると
取ったクリをもって行けと
離してくれた
 
三十年後
その大木は残っていたが
枝が半分切られて
惨めな姿で立っていた
 
 







「神輿みこし」
夏になると神輿が出る
岩手山神社の
祭りが待ちどおしい
 
いつもみこしの行列に
加えてもらえるか
気がかりだった
 
有る夏
僕は弟と一緒に
祭りに加わった
 
町内を大人が担ぐ
みこしの後について歩いた
 
夜になると
お礼のおむすびがでる
ゴマのついた
ただのむすびだが
 
この握り飯のために
祭りに出たかったと
言うのがほんとうだ
 
ぼくが自分の分を
もらっていると
おばさんが
側でじっとしている弟にも
もうひとつくれた
幼い弟に笑顔が見えた
 
 








「雫石川 しづくいしがわ」
ジャリだらけの川だった
柳が繁り
よくカミキリムシを
手で捕まえて遊んだ
 
夏は町内の子供会で
隊列を組んで泳ぎに行った
 
流れの急な川なので
泳げる場所は
太田橋や東北本線の鉄橋の近くに限られていた
 
年長の子供について行こうと
まだ泳ぎの知らぬ私は
手は平泳ぎ、足はクロールのようにばたつかせ
早い流れを息もつかず渡った
 
泳ぎすぎて寒くなった僕たちは
火をおこして
紫色のくちびるで
ニセアカシヤの葉を焼いて食べた
 
さすがに台風の翌日は水かさがまし
水の様子を見に行くと
濁った川は怒り狂い
遊泳場は消えていた

    

 
 






「ハチ」
長家の軒下にハチの巣が出来た
アシナガバチは春になると
毎年小さい巣作りをする
 
僕は竹ざおでそのひとつをつっついた
すると 一匹の雄が飛びかかってきた
それは目と目のちょうどまん中に突き当った
 
立体映画で巨大なハチをみているようだったが
そのとたん余りの痛さに涙が飛び出した
 
僕はすぐ隣のおばさんの所に走っていって
ハチが残したハリをとってもらった
少し痛みが薄らいでから
あのハチも命はないのだと思うと
少し悲しくなった
 
 







「海苔 のり」
海苔は貴重品だった
何時の日か一枚全てを
食べてみたいと
良く思った
 
それが今
手巻寿司などで
大きい海苔を
食べるようになると
 
何か小さい頃の夢が
懐かしくなり
大切なものを
無くしてしまったような
気持ちになった
 








「腕」
それは一瞬の出来事だった
田村君と真空飛びの練習をしていた
数歩手前からジャンプして
彼の腕の中に入る手はずだった
 
ところが着地するとき
どういうわけか
彼は そこに いなかった
 
体重を支えるために
僕は片手を直接大地についた
すると ボキボキ という音がして
気が遠くなる様な痛さが全身を襲った
 
中学校からタクシーで病院に運ばれ
右腕骨折で手術を行う事になった
 
数日後父に伴われ
栃内医院に変わった
 
院長が太い腕で私の関節を元に戻そうと
力を入れた
死ぬ思いとはこのことで
声も出なかった
 
結局手術はせずにそのまま
半年余りもリハビリに通った
 
おかげで利き腕が使えず
左手で書く練習をした
不思議なことにノートもよく取れないのに
テストの成績は上がっていた
 
このまま左ききになろうとも考えたが
一年も過ぎる頃には元に戻り
成績も下がった
 







「栗の森」
栗と言えば
滝沢村蒼前神社の近くの森に
私の栗の木があった
 
風の強い翌日
自転車を一時間こいで行く
ハキゴを腰に
その木の下で
三十分もすると
一升ちかく取れる
こつぶのやまぐりだった
 
ある日薮を漕いで帰るとき
プチっとくちのあたりを
ハチに刺された
 
これがものすごくいたく
僕の顔は
まるでおたふく風邪のようになった
 
有る年
ここにきて驚いた
山は静かで
栗は全く落ちてこなかった
 
日本の南から広がった
クリタマバチが原因だとすぐわかった
以来この森で
栗ひろいができなくなった
 
 







「古本屋」
そこには何となく
僕を引き付けて離さない
臭いがあった
 
一つは上の橋のたもとの古本屋で
小学生のころからよく通った
少年講談の 雷電 や 塚原ト伝 など
痛快な話をここで知った
中津川のほとりの
人通りも少ないところだった
 
上田の古本屋では
高校のとき 菜根箪 の古本を買った
昭和初期のもので
糸で綴じられていた
 
本屋はとにかく
何もない時の娯楽場で
あれこれと本を手に取っては
値段と内容を見比べた
 
一体どれだけの時間を
僕は
本屋に立っていたのか









「筋肉 kinn-niku」
 
小さい頃から
腕っぷしは弱かった
 
体も細く いくら食べても
身となり肉とならなかった
 
走ってもすぐ苦しくなり
マラソンでは努力の割に
成果が出なかった
 
だから夢は
筋肉りゅうりゅうたる体を
持つことだった
 
どういうわけか
高校三年のころ
ウエイトリフテングクラブに誘われた
昼になるとベンチプレスなどで
体を鍛えたが
やはり細いままだった
 
そのうち私の願望は薄れた
やせていると
夏に強いことが
分かったからだ
 
 







「紅玉」
リンゴを見ると
古里の野山に遊んだ
子供の頃を想い出す
 
それは雪で覆われた畑に
ぽつんと立った
一本のリンゴの木
 
スキー帰りに
取り残されたその実に
かぶりつくと
半分凍った「紅玉」の果肉から
アロマが口中に溢れ
少年は瞬時に酔った
 
 








「ポチ」
僕がトム・ソーヤの頃
冒険の出発地は
「上盛岡駅」だった
 
ここから汽車に乗り
ぼくたちは「上米内」や
「外山」へ行った
時には少し足を延ばし
「区境」までも出かけた
 
そんなある日
ポチがついてきた
彼女は「上米内」で降りて
山に篭ってしまった
 
2、3日後
一人で列車に飛び乗って
「上盛岡駅」へ戻ってきた
 
中学生の僕は
ポチの方が
もっとトムソーヤらしいと思った

 

詩集TOPへ  幸田比呂HOME  ソンシアの家HOME