『上田中学(一年十組)』より

 

     -目次-

 

     上田中学(一年十組)

 岩手山登山
 喧嘩(けんか)
 ヤジ
 往復ビンタ
 外山
 事故
 社会科の教師
 上米内-遠足
10 ダッコちゃん
11 修学旅行-T
12 修学旅行-TT
13 裏山
14 ハーモニカ
15 ハチの冬越し

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「上田中学(一年十組)」
 
中学に入学したら
一年十組佐々木学級だった

 

昭和二十一年生まれの
ベビーブーム一世だ
教室は前年の三クラスから
十クラスに増えた
体育館を仕切って
急ごしらえの教室ができた

 

入学式のとき
校長の話を聞いているうちに
気分が悪くなった
先生が気付いて
保険室に連れていってくれた
トイレに行ったら回復した

 

遅れて教室に戻ると
まだ名前も知らないクラスメートが
じろじろ見つめている気がした

 

数日後ホームルームのあと
校庭で
ソフトボールをすることになった
担任代理の男の教師が
静かに教室を出るように
指示した

 

どうした訳か
僕一人が大声で
「ソレー」と言ったものだから
一人教室に残された

 

あとでこそこそ
ソフトボールに加わるのも
バツが悪かった
中学時代の始まりだ

                                                             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「岩手山登山」

 

真っ暗闇のなかを
バスは
岩手山神社に向かって走る
雨がしとしと降りだした
十クラスもある一年生が
登り始めて
何時間経ったのだろう

 

最後のクラスが登り始めた頃
雨はさらに激しくなり
登山は中止になった

 

バスの中で待っていると
夜中に出発した生徒たちが
疲れた顔で戻って来た
八合目近くまで
行ったクラスもあったろう

 

さんざん雨に当たり
気分が悪くなった生徒が続出した
救急車が来て病院へ直行した
教師も疲れたに違いない

 

しんがりの我々は
何か手持ち無沙汰のまま
盛岡に戻って解散した
翌年から恒例の
岩手山登山は中止になった

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「喧嘩(けんか)」

 

放課後 掃除当番が回ってくる
机を教室の隅に移し 
床の雑巾がけを始めた
何かの拍子で
級友と口論になった

 

顔が黒くて体が大きく
外人の野球選手に似ていたので
バルボンと呼ばれていた
みんなに一目置かれた彼だ

 

二人はちょうど相撲でもするように
取っ組み合いになった
僕は小学生の頃から
相撲の技を磨いていた
下手投げを掛けると
彼の巨体が床の上に転がり
足をバケツに引っかけた

 

週番の三年生の女子が
止めに入った
バケツの水が床にひっくり返り

 

 

 

 

『けんかに水が入った』

 

以来バルボンは
僕にけんかを売ることはなかった

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヤジ」

 

会場は騒然とした
生徒会長へ立候補する
三年生が
演説を始めた

 

そのとたん
上級生のヤジが
怒涛のごとく押し寄せた

 

一言一言話すたびに
講堂に坐りこんだ
集団のなかから
大声が湧く

 

突然 
となりに坐っていた細田君が
「だまって聞け!」と
驚くほどの大声でどなった
入学したての仲間の勇気に
ショックを受けた

 

 

 

 

やがて僕も
彼のヤジをまねて
大声で叫ぶ
一人になっていた

 

こういう具合で
中学校の弁論大会や
選挙演説は
怒号とヤジの合戦だった
そこは
熱いエネルギーが
満ちていた

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「往復ビンタ」

 

とても中学生とは思えなかった
ナイフをちらつかせたり
脅してみたり
万引きをする者もいた
一方おっとりした
いかにも育ちの良いのが居たりして
まるで社会のるつぼのような中学だった
先生といえば
そんな生徒に負けることなく
血気盛んな青年が集まっていた

 

ある日教室でふざけあっていると
数学の教師が全員を一列に並ばせた
突然一人一人の顔を
往復ビンタしはじめた
僕の顔を削るように平手が過ぎ
隣の生徒がつられるように
顔を引っ込めた
教師は怒って
音が聞こえるほど彼の顔をたたいた

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「外山」

 

大志田の駅で電車を降りると
もう急な坂を上ることになる
数十メートルも行くと
息の切れる坂

 

僕たちはエンヤエンヤと
歩んで行く
登り切ると
気持ちの良い尾根歩きだ
モウセンゴケを探したり
大声で外山甚句を
歌っているうちに
街道に出た

 

ある夏僕たちは
外山ダムのキャンプ場に
テントを張った
斎藤君が真っ先に
スコップでトイレ掘りに出かけ
ついて来た先生はテントの中で
お酒を飲み始めた

 

 

 

 

 

 

のどかな中学校時代を
毎年のように
外山が迎えてくれた

                                 

         

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「事故」

 

 

朝はいつも
何人抜いたか気になった
専売公社の狭い横道は
工業高校と
上中の生徒の登校道だった
黒一色の制服の群れるあいだを
足早に歩き
抜いた人数を数えた

 

ある日
大勢の人々が群がって
さわいでいる
一人の男が死んだらしい
死因がわからないまま
幾日かが過ぎた

 

ある上中生の
父親とわかった
その人の首から
鉄の固まりが出てきた

 

 

 

 

工事中の専売公社の鉄骨を
組み立てていた作業員の
電動ドライブが暴発して
中のボルトが
自転車に乗った男に
つき刺さったのだ

 

人の死が
こんなにも
偶発的に起こることを
始めて知った

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「社会科の教師」

 

社会の時間だった
二年のとき
何となく教室の雰囲気が
あやしくなってきた
新任の若い社会科の教師の授業に
みんなついて行けなかった

 

教師がある生徒を叱ったときから
みんなが抵抗しだした
誰も質問に答えない
教師は怒った
「何が不満なんだ 何でも話してくれ」
と私たちに懇願した

 

すると まずよく勉強の出来る生徒が
「先生の教え方が悪い」といい
さらに、二、三人の生徒が
同じような意見を言った
教師は答えるのに一生懸命だった

 

 

そのうち
普段は勉強にまったく関心を
示さない生徒も発言し
授業は討論集会となった

 

生徒があらかた言いたいことを
言ってしまった頃
終わりのベルがなった

 

その後の授業から 
教室は静かになった
教師の顔もにこやかになった

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上米内−遠足」

 

 

いつも決まって学級遠足は
上米内だった
クラスごとに遠足の場所を選ぶ
多数決だ
希望の場所を各自説明して
夢を集める
小岩井農場 外山 区界 など
色々行きたい場所が出る

 

どういう訳か僕たちのクラスは
三年続けて上米内に決めた
盛岡の浄水場があるだけで
取り立てて
景勝の地である訳でもないのに

 

上米内は僕たちを引き付けた
きっと山と小川の流れが
無垢な子ども心を魅了したのだろう

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダッコちゃん」

 

 

顔が黒くて背の低い
本当に脇に抱きついてきそうな級友
あの頃はやったダッコちゃん
そのあだ名がついた

 

ある日山の上の彼の家が焼けた
みんなでリヤカーを引き 
色々なものを運んだ
ダッコちゃんの顔が
しわくちゃになった

 

マラソンの速い彼だった
小さな体の
どこにあんなエネルギーがあるのか
と思われるほど
長い距離を走るのが得意だった

 

 

 

 

 

 

二年生のとき
二人で漫才をやった
彼が林家ダッコで
僕が柳屋金太郎
なかなか気のあう
掛け合いが受けて
教室のなかに
笑いが広がった

 

三十年後
クラス会であって驚いた
あまりにも成長して
もう
ダッコちゃんでは
なかったけれど
口を開くと
出るジョークの数々に
安心した

                                

 

 

 

 

 

「修学旅行-T」

 

 

駅には大勢の親が見送りに来た
僕はダッコちゃんと一緒に坐った
彼は母親が来ると
本当に嬉しそうに笑った

 

私の母が
バナナを食べすぎないようにと
田村君に伝言したらしい
?滅多に食べたこともないのに、
おかしいことを言うと思った
修学旅行で北海道へ旅たつ日だ

 

こうして僕らは
青森まで行った
青函連絡船の大広間に横になった
船が揺れるので
甲板に出ると
巨大な船体の下を
何かがくぐっている
イルカの群れが
船の周りで遊んでいるのだ

 

 

 

 

イルカは
船と競うように飛び跳ねて
白い飛沫を上げてついてくる
まるでこちらが
遊ばれているようだ

 

波の彼方に消える太陽を
僕らは初めて目にした

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「修学旅行-U」

 

 

蝦夷富士を横目に
札幌に着いた
盛岡からは東京より遠い距離なのに
なぜかごく近くの町に来た感じだ

 

クラーク像の前で写真を撮り
ポプラ並木を歩いた
三十年後
この大学で教えることになるとは
思いもよらなかった

 

僕は高橋写真館の息子に付いて歩き
次々と写真を撮って貰った
アイヌの村やトラピスト修道院を巡り
歌声も高らかに帰郷する頃
クラスは一つにまとまっていた

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「裏山」

 

中学校の裏山には
鬱蒼(うっそう)とした木々が
繁っていた

 

秋には大きな栗がとれ
悪童たちが
勉強をサボって隠れるのに
手ごろの森だった

 

よくほかの学校の
生徒がやって来て
この森で
石を投げあってけんかした
不良っぽい生徒に呼び出されて
金を巻上げられそうになったのも
この森のなかだ

 

木々たちは僕らの行いを
一部始終見ていたに違いない

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハーモニカ」

 

音楽の教師が
全員にハーモニカを教えてくれた
僕たちは毎日のように
半音の練習をした
『草競馬』から始まり
ついには『ペルシャの市場』まで
演奏できるようになった

 

卒業して
集団就職した友だちが
千葉の工場の寮で
よく『峠のわが家』を吹いていると
手紙をくれた

 

ある時から
ぱったり返事が来なくなった
仕事の辛さに
耐え切れなかったのだろう
こうして僕たちは
それぞれの道を
歩み始めた事を知った

                                

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハチの冬越し」


ある秋の日
アシナガバチが
二階の部屋に迷いこんできた
浪人の私は
このハチをマッチ箱に入れ
砂糖を溶かして飲ませた

 

その年の冬
ハチはストーブの有る
家のなかで暮らした

 

やがて春が来た
ある日いつものように
箱を開けて手の平に乗せていると
格子戸の間から
外界へ飛んでいった

 

不思議な事に
翌日
彼はまた私のところへ
戻って来た

 

 

 

 

もう一度
彼の住みかに入れて置いた

 

その次の暖かい日
また手の平で遊ばせていると

 

外へ飛びだし
もう戻ってこなかった

 

その年の春
僕は高校に合格した

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